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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2357号 判決 1960年5月30日

控訴人 国

被控訴人 株式会社日本相互銀行

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする、との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠関係は、原判決事実摘示と同一(ただし、原判決二枚目裏一行目以下に「昭和三十一年度所得税及び加算税三百一万八千四百七十円、外に国税徴収法第四条の一による納期繰上徴収として数期の所得税を合算した総額三百十六万六千五百三十円」とあるのを、「昭和三十一年度所得税及び加算税三百一万八千四百七十円を国税徴収法第四条の一による納期繰上徴収とし、そのほかに数期の所得税を合算した総額三百十六万六千五百三十円」と訂正する。)であるから、ここにこれを引用する。

理由

当裁判所は、つぎの点を附加するほか、原判決の理由に説明するところと同一の理由によつて、被控訴人の本訴請求を認容すべきものと判断したので、ここに同判決の理由の説明を引用する。

一、控訴人は、本件相殺の意思表示が効力を生じない旨強く主張しているのであつて、その論旨の要点はつぎのとおりである。

(一)  債権差押の場合、第三債務者が相殺を以て差押債権者に対抗できるためには、第三債務者の反対債権の取得が、単に差押前であるだけでは足らず、反対債権の履行期も差押前に到来して相対立する債権が差押前に相殺適状にあることを要する。

(二)  この見解は、債権譲渡と相殺との関係について大審院が繰返し判示したところである(明治三十八年三月十六日及び大正三年十二月四日各言渡の判決等)。

(三)  最高裁判所昭和三十二年七月十九日言渡の判決は、右見解を改め、「債権の譲渡または転付当時債務者が債権者に対して反対債権を有し、しかもその弁済期がすでに到来しているような場合には少くとも債務者は自己の債務につき譲渡または転付の存するにかかわらず、なおこれと反対債権との相殺をもつて、譲受人または転付債権者に対抗しうるものと解するのを相当とする」と判示した。この判決における補足意見は、「債権譲渡の通知当時は、まだ相殺適状になく、しかも債務者の有する反対債権の弁済期が、その債務者の負担する債務の弁済期より後に到来するものについては、債務者は相殺を以て債権譲受人に対抗することはできない。これと異り、債権譲渡の通知当時相殺の原因が存在し、しかも自働債権の弁済期が受働債権の弁済期以前に到来するものについては、右自働債権の弁済期が譲渡の通知の前後いずれにあるを問わず、後日相殺適状を生じたとき、債務者は債権譲受人に対し相殺をなしうる」というのである。

(四)  しかし、債権差押の場合と債権譲渡の場合とは必ずしも同様の見解によらなければならないものではない。債権差押の場合には強制執行制度との関連において考察されなければならないから、両者において解釈の異る点があるのは当然である。平等主義を建前とするわが国の強制執行制度の下においては、差押当時相殺適状にある場合にのみ相殺を認めることが右制度の趣旨に副うのである。また、前記補足意見はドイツ民法第三百九十二条と同趣旨であるが、ドイツ法においては差押債権者が優先的に弁済を受けることになつていて、平等主義を採用していないのであるから、わが国においてドイツ法におけると同様に解するのは妥当でない。民法第五百十一条についてもドイツ法と同趣旨に解すべきでない。

(五)  原判決は、「第三債務者は執行債務者(被差押債権の債権者)に対して取得していた債権が被差押債権と相殺適状となつたときはいつでも相殺ができるのであつて、差押前に相殺適状にあることを要するものでない」と判示したが、これは、最高裁判所の右判決はもとよりその補足意見よりもさらに広汎に相殺の効力を認めたものであつて、その第三債務者に対する保護が厚きに過ぎる。

(六)  本件においては差押当時(昭和三十二年一月十六日)には自働債権(弁済期同年二月七日)も、受働債権(弁済期同年十二月二十八日)も、ともに弁済期が到来していないから、相殺適状になかつた。従つて、被控訴人はその主張の相殺を以て控訴人に対抗することはできない。

右のように論じている。

二、しかし、

(一)  控訴人は本件預金債権を差押えた後債務者川俣捨松に代位してこれを取立てんとするものであることは、当時施行せられていた国税徴収法第二十三条の一第二項に徴し明らかである。転付ないし譲渡の場合にあつては、民法第四百六十八条の規定に則り、譲受人を保護する特別の理由あるため、譲受人が譲渡人の権限を超えてその権利を行使しうる場合もあるが、代位による取立にあつては、差押による処分の禁止ということはあるが、本来本人に代わつて本人の有する権利を行使するだけのことであるから本人の立場以上に有利にその権利を行使しえないのは当然であつて、わずかに民法第五百十一条がその例外をなすに過ぎない。ところで、同条は、支払の差止を受けた第三債務者はその後に取得した債権により相殺を以て差押債権者に対抗することをえない旨を定めているに止まるから、その前から有する債権によつて相殺することは法文上はなんらこれを制限していないし、また、控訴人主張のような制限を付した規定であると解する根拠は、債権差押の性質や効力からは当然には出てこないものと考えられるし、その他右のような制限を付すべき合理的な理由も見当らない。

(二)  債権差押の場合と債権譲渡の場合とは、相殺の許否について必ずしも同様の見解によらなければならないものでないことは、控訴人の論ずるとおりである。しかし、債権差押の場合には債権譲渡の場合よりも一層厳格に相殺の有効な場合を制限すべきであると解することはできない。債権の譲渡にあつては、債権の帰属が変更されるのであるが、債権の差押にあつては、単に、第三債務者に対し債権者に支払を為すことを禁じ、また、差押債務者に対し債権の処分殊にその取立を為すことを禁ずるに過ぎないのであつて、債権者は変更せられないのであるから、差押債権に対する影響力は、譲渡の場合に比して薄弱であるのは当然であるからである。債権の譲渡があつても、なお、譲渡債権の債務者は相殺を為しうるのに、債権差押のみの場合にその差押債権の債務者が相殺を為しえないとするのは不合理である。従つて、民法第四百六十八条第二項の解釈をそのまま債権差押の場合にも類推して、民法第五百十一条の規定に関しても、相殺を以て差押債権者に対抗しえない場合を拡張して解釈することは理由のないことである。

本件のように、国税徴収法第二十三条の一によつて差押えられた場合には、(国の債権額の範囲内においては、)一般債権者に配当要求の余地はないのであるから、強制執行における平等主義は適用されないのであるが、民事訴訟法によつて債権が差押えられた場合には平等主義が適用される。そして第三債務者が相殺によつてその差押にかかる債務を消滅させると同時に、その差押債務者に対する債権もまた消滅することになるので、第三債務者の債権が、差押債務者の第三債務者に対する債権によつて満足をえたことになり、差押えられた債権によつて優先弁済を受けたような結果を生ずることになるのは否定しえない。しかし、このような結果を生ずることを許すかどうかは、差押債権者と差押債務者に対して差押当時に反対債権を有していた第三債務者とのいずれを保護するのが公平妥当かということにほかならない。

(三)  被控訴人は差押債務者川俣捨松との取引において、自己の債権の支払を受けないで、自己の預金債務のみを支払うようなことは全く予想していないのみでなく、そのようなことのないよう万全の策を講じてあつたのである。すなわち、被控訴人は昭和三十一年十一月十五日川俣捨松に対し金五十万円を貸付けたが、その支払を確保するため捨松をして金五十万円を定期預金させ、しかもその弁済期は被控訴人の債権の弁済期昭和三十二年二月七日よりも後れる同年十二月二十八日とし、この預金債権に質権を設定して、捨松に対する債権の担保とし、かつ捨松が弁済をしないときは期限前でもその預金債権と相殺しうる旨特約していたのである。従つてその債権が回収せられないことも、その回収がないのに預金債務を支払うことも、全く予想されないところである。これに反し、控訴人の債権は全く無担保であつたのに、もし控訴人の主張が認められるならば、差押があつたことだけで被控訴人は自己の債権を回収しえず、自らの債務を支払わざるをえないのに、かえつて、控訴人が被控訴人の負担においてその債権の満足をうるような結果となるのである。このような結果を生ずることは決して公平の理念に副うものとはいえない。

よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 村木達夫 元岡道雄)

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